今村大失言にみる、政治家「寄り添う」発言のテンプレ化

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今村大失言にみる、政治家「寄り添う」発言のテンプレ化

私たちはいつまで失言に寄り添わなければならないのか

産経新聞 4月25日

 名言、珍言、問題発言で1週間を振り返る。超ド級の失言が出た。東日本大震災から6年、復興のリーダーとなるべき復興相が「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」と言い放ったのだ。すぐさま復興相を辞任したが、事実上の更迭である。

 25日、自身が所属する自民党二階派のパーティーで壇上に立った今村氏は、笑いながら「お騒がせしております」と挨拶。これは今月4日、福島県などからの自主避難者に対して「自己責任」「裁判でも何でもやればいい」と発言し、その後、質問をした記者に対して「うるさい!」「出て行きなさい!」と激昂したことを指す。その後、「自己責任」という発言については撤回して謝罪したが、この日のスピーチでは一連の騒動をツカミにしようとしたのだろう。反省ゼロである。そして、その1分後に大失言が飛び出した。

 資料を読み上げている部分ではなかったため、「今村復興相の本音が出た」という指摘も相次いだ。当初は強気なまま、辞任を否定していたので、失言したという意識もなかったのだろう。そもそも復興相に就任した際も「復興相かあ……」と落胆していたという(後に本人は否定/『週刊文春』4月20日号)。自主避難者に対して「故郷を捨てるのは簡単」と発言したこともあった(『日曜討論』3月12日)。「自己責任」発言のときには「質問した記者が悪い」と今村復興相を擁護する声も多く上がっていたが、まったく的外れな擁護だったわけだ。

「聞いた瞬間、身が凍るような衝撃を受け、怒りがわいた」

今村氏への怒りは日本列島を駆け巡った。桜井勝延南相馬市長は「震災で犠牲となった約2万人に対する冒涜だ」と憤激した(河北新報 4月26日)。達増拓也岩手県知事は「聞いた瞬間、身が凍るような衝撃を受け、怒りがわいた」とコメント。また、陸前高田市から盛岡市に避難している男性は「大臣になりたいだけで、復興のことが頭にないのだろう」と切り捨てた(産経新聞 4月27日)。4日の問題発言の後、いち早く今村氏の釈明インタビューを掲載した地元佐賀新聞も突き放した。被災地の支援活動を行う佐賀の女性は「被災者に対して恥ずかしいし申し訳ない」と嘆いている(佐賀新聞 4月26日)。

 安倍晋三首相も今村復興相の度重なる失態にブチ切れた。国際情勢は緊迫したまま、テロ等準備罪、家庭教育支援法案の成立を目指す大事な時期でもあり、自らは森友学園問題や加計学園問題を抱える身。そんな中で政権内の失言や失態が相次いでおり、安倍政権の「緩み」「驕り」を指摘されていた折だったからなおさらだ。

「極めて不適切な発言があった。任命責任は私にある。こうした結果になったことについて、心から国民の皆様におわびする」(日本経済新聞 4月26日)と謝罪したが、どうしてこんな人を任命したのか説明が聞きたいところだ。

「そもそも復興相ポストは、当選を重ねながら入閣できない『待機組』に実績を与える調整に使われ頻繁に交代を繰り返してきた」という指摘もある(北海道新聞 4月27日)。後任の吉野正芳氏も国会議員歴18年目で初入閣ということだが……。


吉野正芳 復興相
「役所は『寄り添って』という言葉を使う。耳ざわりのいい言葉だが、本当に被災地に寄り添っていけるのは私だという自負をも持っている」
日刊スポーツ 4月26日


今村雅弘氏の後任に就任したのは、福島県いわき市と双葉郡を選挙区とする吉野正芳氏だ。就任会見では自宅と選挙事務所が津波の被害を受けたことを明かし、「被災者の気持ちはどなたよりも理解していると思う」と強調。今村氏の発言については「昨日の発言は許すことができない。東北の被災地にとっては、許すことのできない発言だ」と強い口調で批判した。

 ここでポイントになるのが「寄り添う」という言葉だ。吉野復興相は記者会見で、誰も彼もが「(被災者に)寄り添って」という言葉を使うことに疑問を呈してみせた。現に今村氏も昨年8月の就任記者会見では4回も「寄り添い」と繰り返していた。言うだけなら今村氏にだってできる。


「“寄り添う”が単なる形容詞になっている」

安倍首相も負けてはいない。26日の今村復興相辞任に関する記者会見では「被災地の皆様の心に寄り添いながら復興に全力を挙げる、これは揺るぎない内閣の基本方針であります」と語っている。ただし、今村氏が「自己責任」と発言した折にも、今村氏を支持しつつ「被災者に寄り添い、復興に全力を挙げる安倍内閣の方針に変わりはない」と語っていた(時事ドットコムニュース 4月6日)。良く言えばブレてない、悪く言えばテンプレ。そして、今村氏がどう「寄り添って」いたのかには関心がなかったようだ。

「本当に被災地に寄り添っていけるのは私だけ」と寄り添いレースで先行しようとする吉野復興相だが、公明党の漆原良夫中央幹事会会長は27日の記者会見で「『被災者に寄り添う』という言葉を使うが、言葉だけが上滑りしている。単なる“形容詞”になっている」と盛大に釘を刺してみせた。吉野復興相が被災者に本当に寄り添っていけるかどうかは行動で示す必要がある。「実績らしい実績が見当たらない」「人をまとめるリーダーシップがない」「政治家には不向きのタイプ」(いずれも日刊ゲンダイ 4月27日)とボロクソに言われているが、ここはぜひとも頑張ってもらいたい。

 ちなみに安倍官邸に近いことで知られる時事通信社の田崎史郎氏曰く「政治家は寄り添っている“ふり”はしなきゃいけないんですよ」(『ひるおび!』 4月26日)。マジか。

二階俊博 自民党・幹事長
「一行でも悪いところがあれば『けしからん、首を取れ』と。なんちゅうことか。それ(記者)のほうの首を取ってやったほうがいいくらい。そんな人はハナから排除して入れないようにしなきゃだめだ」
産経ニュース 4月27日

今村氏の失言は派閥の領袖、二階氏にも二次被害をもたらしたようだ。失言の翌日、自身の講演会でマスコミ批判を展開した二階氏だが、それ自体が失言気味。

 これには与党寄りの論調が目立つ産経新聞も「マスコミに恨み節」と突き放した記事をドロップ。さらに普段は激しく敵対する民進党・蓮舫代表の「巨大与党の幹事長ならそうした言葉でメディアが忖度するとでも思っているとしたら、それは大きな間違いだ」という批判も詳しく掲載してみせた(産経ニュース 4月27日)。

 ワイドショーでも小倉智昭や坂上忍にケチョンケチョンに言われてしまった二階氏。「忖度」の神通力も通じなくなりつつあるのかもしれない。


盛山正仁 法務副大臣
「何でもそうだが、対象にならないということにはなりません。性質として対象にならないかもしれませんが、ボリュームとしては、大変限られたものになると、わたしたちは考えているということです」
FNN 4月21日

 今村騒動の陰に隠れてしまった形になったが、共謀罪の構成要件を改めた「テロ等準備罪」に関する国会審議が進んでいる。

 これまでの日本の法律の大前提は「起きた犯罪」を処罰するというものだったが、これに対してテロ等準備罪は「起きる前の犯罪」「まだ起きていない犯罪」「起きそうな犯罪」を処罰できるもの。しかし、線引きが非常に曖昧なままで、市民の活動や生活への監視が強化される懸念が膨らんでいる。

 4月21日の衆院法務委員会では、いきなり矛盾が露呈した。これまで安倍首相や金田勝年法相は「一般の方々を捜査するものではない」という発言を繰り返してきた。しかし、盛山法務副大臣は「(一般人が捜査の)対象にならないということはありません」という認識を示したのだ。

 そもそも「一般人」が誰を指すのかが曖昧なままだ。市民団体でも労働組合でも一般人のサークルでも、集まった目的が変われば「テロ等準備罪」に問われる可能性がある。「テロの準備をしなければいいんでしょ?」と思うのは早計だ。「テロを防ぐためなら多少の不自由は仕方ない」と思うのもちょっと違う。なぜなら、次のような発言があるからだ。



古川俊治 自民党・法務部会長
「テロなんて言ってませんよ。この法律だって」
『羽鳥慎一 モーニングショー』 4月20日

テロ等準備罪の取りまとめ役を務める自民党・法務部会長の古川議員によると、「テロ等準備罪」というのはあくまで“呼び名”であって、テロを防ぐためだけに作られる法律ではないというのだ。実際、国会に提出された法案を印刷した冊子には「組織的犯罪処罰法改正案」と記されている。こちらが現段階の正式名称と考えていい。報道するメディアによって「共謀罪」「テロ等準備罪」「組織的犯罪処罰法」とまちまちに表現されているから非常にわかりにくい。

 安倍首相は「2020年東京オリンピック、パラリンピックを3年後に控える中において、テロ対策は喫緊の課題であります」と述べて「テロ等準備罪」と結びつけているが、実際には法律の対象はテロ犯罪だけではない。先に政府が挙げた277の犯罪が対象であり、そのうち一つでも計画したら一般人であろうとも「組織的犯罪集団」とみなされる可能性がある。277の対象犯罪には、保安林でのキノコ狩りも含まれている。

 矛盾だけでなく、とにかく曖昧な「テロ等準備罪」なのだが、政府はゴールデンウィーク明けにも衆院通過を目指している。議論の経過にはさらなる注意が必要だ。我々と無縁の話ではけっしてない。

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