NHKに日本人はいるのか? 歴史を直視しない公共放送なんていらない

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NHKに日本人はいるのか? 歴史を直視しない公共放送なんていらない

NHKに日本人はいるのか? 歴史を直視しない公共放送なんていらない
オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」から引用




小名木善行(国史研究家)

 NHKの戦争史観の偏向が問題になっています。NHKの持つかつての日本の戦争に関するレトリックは明快です。戦争に反対である、日本は侵略国だった、日本は悪いことをした、ということです。私も戦争には反対です。二度とあってはならないと思います。けれど戦争は相手があって起きることです。日本だけが一方的に戦争を回避しようとしても、相手が攻めてきたら戦わざるをえないのです。そうでなければもっと大きな悲劇に襲われることになるからです。

支那事変の時に「通州事件」という事件がありました。北京郊外にある通州市で、日本人居留民233名が、おそらく人類史上類例のないほどの残虐な方法で殺されました。通州は、北京郊外18キロにある、明朝時代に築かれた静かな街て?、天津からの集荷の拠点として、事件直前まて?は日本人にとっても、中国人にとっても治安の良い街でした。そこには親日派とされる中国軍閥の冀東防共自治政府の兵たちも守備にあたっていました。この自治政府の長官の殷汝耕は日本人を妻にしていて、自治政府軍は約9000名の保安隊を組織していました。

 昭和12(1937)年7月29日、通州にいた日本人380名に、いきなりこの軍が襲いかかりました。日本人は、男性が110名、残りは婦女子て?す。保安隊は自分たちのホ?スて?ある殷汝耕を拘束し、日本人居留民への虐殺を開始しました。そして日本人223名か?虐殺されました。
 この事件について、東京裁判における証言があります。そのまま掲載します.

 ・救援のため通州に急行した、支那駐屯歩兵第二連隊長萱島高中将の供述
「旭軒(飲食店)て?は40から17、8歳まて?の女7、8人か?皆強姦され、裸体て?陰部を露出したまま射殺されており、その中4、5人は陰部を銃剣て?刺殺されていた。商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんと?すへ?てか?首に縄をつけて引き回した跡か?あり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものた?った」

 ・支那駐屯歩兵第二連隊歩兵砲中隊長代理、桂鎮雄元少佐の供述

 「錦水楼入口て?女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔た?けに新聞紙か?かけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上て?剥か?されたらしく、上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣て?突き刺した跡か?あったと記憶する。陰部は刃物て?えく?られたらしく、血痕か?散乱していた。帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまさ?まさ?と示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの死体か?あり、全部もか?いて死んた?ようた?った」

 「折り重なって死んて?いたか?、一名た?けは局部を露出し上向きになっていた。帳場配膳室て?は男1人、女2人か?横倒れ、或いはうつ伏し或いは上向いて死んて?おり、闘った跡は明瞭て?、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようた?った。女2人はいす?れも背部から銃剣を突き刺されていた。階下座敷に女の死体2つ、素っ裸て?殺され、局部はし?め各部分に刺突の跡を見た。1年前に行ったことのあるカフェーて?は、縄て?絞殺された素っ裸の死体か?あった。その裏の日本人の家て?は親子二人か?惨殺されていた。子供は手の指を揃えて切断されていた。南城門近くの日本人商店て?は、主人らしき人の死体か?路上に放置してあったか?、胸腹の骨か?露出し、内臓か?散乱していた」

・支那駐屯歩兵第二連隊小隊長、桜井文雄元少佐の供述
 「守備隊の東門を出ると、ほとんと?数間間隔に居留民男女の惨殺死体か?横たわっており、一同悲憤の極みに達した。『日本人はいないか?』と連呼しなか?ら各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老女、腹部を銃剣て?刺された妊婦等の死体か?そこここのコ?ミは?この中や壕の中から続々出てきた。ある飲食店て?は一家ことこ?とく首と両手を切断され惨殺されていた」

 「婦人という婦人は14、5歳以上はことこ?とく強姦されており、全く見るに忍ひ?なかった。旭軒て?は7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部にほうきを押し込んて?ある者、口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者なと?、見るに耐えなかった。東門近くの池には、首を縄て?縛り、両手を合わせてそれに八番鉄線を貫き通し、一家6人数珠つなき?にして引き回された形跡歴然たる死体か?あった。池の水か?血て?赤く染まっていたのを目撃した」

 悪鬼も目をそむける惨たらしい所業て?すか?、その後の調へ?て?、襲撃した連中は襲撃対象の日本人居宅を、あらかし?めリストアッフ?していたことか?分かっています。通州事件は、仕組まれた計画的な犯行た?ったのて?す。

 通州て?の殺戮と略奪は、まる一日続けられましたか?、ひとつた?け、涙なくしては語れない物語か?あります。ある人か?、便槽に隠れていると、外て?日本人の男性の声か?したのた?そうて?す。その声は、日本語て?こう叫んて?いました。「日本人は隠れろ! 日本人は誰も出てくるな! 日本人は逃け?ろ?っ!」必死の叫ひ?声た?ったそうて?す。そして、ス?ト?ンという銃声。以降その声は聞こえなくなりました。中国兵に引きす?られなか?ら、その日本人男性は、最期の瞬間まて?、自分のことて?はなく、ほかの日本人の心配をしていたのて?す。 た?から「助けてくれ?!」し?ゃなかったのて?す。「日本人は逃け?ろ?!」た?ったのて?す。

 このような事件か?起こった場合、徹底的な報復と賠償を求めるというのが世界の常識です。4千名の居留民か?襲われ、ほほ?無傷て?全員か?助かった義和団事件て?さえ、当時の清朝政府の年間予算をはるかに上回る賠償請求か?なされたのて?す。て?は当時の日本政府は、通州事件の後、いったいと?のような要求をしたのて?しょうか。実は事件後、日頃は仲の決して良くないといわれる陸軍省と海軍省の意見か?一致し、内閣満場一致て?決めた対策か?あります。それか?「船津工作」て?す。

日本の民間人て?、中国からの信頼の厚い元外交官の実業家て?あり紡績業組合の理事長をしていた船津辰一郎を通し?て、蒋介石側に和平を働きかけるというものて?した。その内容は、それまて?の中国側の言い分を、日本にとって不利益なこともふくめて全部丸呑みするから争いをやめようというものて?した。そうなれは?中国側には、これ以上、日本と争う理由か?なくなります。あれた?けひと?い惨事となった通州事件についてさえ、日本はいっさいの賠償請求をしないというのて?す。日本は平和のために、そこまて?譲歩したのて?す。
蒋介石(左)
蒋介石(左)
 日本と中国国民党は同年8月9日に上海て?、船津工作に基つ?く現地停戦協定を結ふ?ことになりました。そして、いよいよその協定締結のその日の朝、上海て?起こったのか?、大山中尉虐殺事件て?す。この事件は海軍上海陸戦隊の大山勇夫中尉か?車て?走行中に、中国の保安隊に包囲され、機関銃て?撃たれて殺されたものて?すか?、実はそれた?けて?はなく、射殺後、中尉を車外に引きす?り出して、頭部を青竜刀て?まっ二つに割るという猟奇性も帯ひ?ていました。この緊急事態発生によって、当日予定されていた日本と国民党との和平会談はこ?破算になります。

 事件はそれた?けにとどまりませんて?した。その一週間後には、日本への帰国避難のために上海に集結していた約3万の武器を持たない日本人民間人に、中国側は5万の精鋭兵をさしむけてこれを包囲全滅させようとしたのて?す。このときの日本側の守備隊は、海軍陸戦隊のわす?か2200名です。

 話し合っても解決しない。て?も戦争はしたくない。ではどうしたら良いのでしょうか。おそらく日本人は、誰も答えられません。なせ?なら日本には、そもそも戦って相手を屈服させ服従させるという文化か?ないからて?す。

 身近な例て?説明してみます。仮に家の車庫の前に、お隣の旦那さんか?勝手にクルマを停めてしまったとします。これて?はクルマを出したいのに出すことか?て?きません。そんなときみなさんなら、と?うされるでしょうか。おそらくお隣さんの玄関のチャイムを鳴らして、次のように言うのではないでしょうか。「すみません。クルマを出したいのて?、停めてあるお車をと?けていたた?けないて?しょうか?」
次のページNHKは歴史を直視していると言えるか。

なんと迷惑をかけられたほうか?謝り、お願いをしています。諸外国て?は考えられないことて?す。もっというなら、多くの場合、自分の家のクルマを動かす必要か?出るまて?、お隣さんのクルマを放置します。つまり我慢するのて?す。 そしてと?うしようもなくなったとき(クルマを車庫から出さなくてはならなくなったとき)になると、そこではし?めてお隣さんに、なんと「謝罪とお願い」に行くのて?す。これか?日本人て?す。

 と?うして日本人はそのようなことをするのて?しょうか。迷惑をかけているのは相手なのて?す。大きなハンマーを持ち出して、「おーい、出てこい。出てきてこのクルマをと?かしなさい。 さもなくは?、このハンマーて?たたき壊すそ?!」ということは、ます?しません。このことを、単純に図式化してみると、実におもしろい対比となります(諸外国: 問題か?起きる→話し合う→戦う(争う)、日本人: 問題か?起きる→我慢する→謝罪する)。

 と?うして日本人か?、そのような行動をとるかといえは?、答えは簡単て?す。日本人は、と?こまて?も「和」を大切にしようとするからて?す。戦えは?恨みか?残ります。そんな恨みをいつまて?も引きす?るくらいなら、最初から喧嘩や争いこ?となと?しないて?少々のことは我慢しようと考えます。そもそも問題か?起きるのは、「自分に徳か?ないからなのた?」と思い、それに則した行動をするのか?日本人て?あり日本国です。このことは戦前も戦後も何も変わりません。

 こうした日本人の思考や行動を、果たしてNHKの方々は理解しているのでしょうか。歴史を直視しているといえるのでしょうか。戦争が悪かった、いけないことだと繰り返すだけでなく、なぜ日本人が、本当の意味で我慢に我慢を重ねてきたことを描こうとしないのでしょうか。それはただ日本が戦争に負けたからでしょうか。そうだとするならば、それは卑怯であり卑劣です。日本は我慢しました。我慢して我慢してと?こまて?も我慢して、そしてと?うにもならなくなったとき、日本は正々堂々と宣戦布告をし戦いを挑んだのではないでしょうか。

 歴史を俯瞰すれは?、日本人の「戦」は単なる殺し合いて?はなく、敵と味方との間に「和」を築くための大きな試練て?あったといえるのて?はないて?しょうか。敵をたた?殺すのて?はなく、敵も味方も生かそうとする、この形容しか?たい精神の奥深さこそ、日本精神の神髄て?す。それが普通の日本人にとっては、あたりまえの思考であり行動であり、国家としての意思と行動でもあったのです。それがまるで理解できないというのなら、その人は、果たして日本人なのでしょうか。




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