佐藤優が説く!いま日本人がヒトラー『わが闘争』を読むべき理由

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この国は意外とナチスに近い?

■新たに発覚した日本人への侮蔑

「名著」とはやや異なるが、名前だけは有名でもほとんど読まれたことがないのが、「ナチスの聖書」と呼ばれた『わが闘争』だ。

アドルフ・ヒトラーの著作権は、ドイツのバイエルン州が持っている。これまで同州は『わが闘争』の復刊を認めてこなかった。2015年にヒトラーの死後70年が経過し、著作権が消滅したので、誰でも『わが闘争』を刊行できるようになった。

この本の影響を防ぐために今年1月、ドイツの現代史研究所が註釈つきの『わが闘争』を刊行した。筆者もドイツから取り寄せたが、全体で1966頁、2分冊になっており、卓上版大英和辞典並みの大きさなので、持ち歩きができない。

先の戦争で、ドイツとイタリアは日本の軍事同盟国だった。しかし、戦前の『わが闘争』の翻訳からは、ヒトラーが日本人を侮蔑している箇所が削除されていた。日独提携の障害になるとの観点から自主検閲を行ったのであろう。その内容は以下の通りだ。

〈日本は多くの人々がそう思っているように、自分の文化にヨーロッパの技術をつけ加えたのではなく、ヨーロッパの科学と技術が日本の特性によって装飾されたのだ。実際生活の基礎は、たとえ、日本文化が―内面的な区別なのだから外観ではよけいにヨーロッパ人の目にはいってくるから―生活の色彩を限定しているにしても、もはや特に日本的な文化ではないのであって、それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学・技術的労作なのである。これらの業績に基づいてのみ、東洋も一般的な人類の進歩についてゆくことができるのだ。これらは日々のパンのための闘争の基礎を作り出し、そのための武器と道具を生み出したのであって、ただ表面的な包装だけが、徐々に日本人の存在様式に調和させられたに過ぎない。

今日以後、かりにヨーロッパとアメリカが滅亡したとして、すべてアーリア人の影響がそれ以上日本に及ぼされなくなったとしよう。その場合、短期間はなお今日の日本の科学と技術の上昇は続くことができるに違いない。しかしわずかな年月で、はやくも泉は水がかれてしまい、日本的特性は強まってゆくだろうが、現在の文化は硬直し、七十年前にアーリア文化の大波によって破られた眠りに再び落ちてゆくだろう〉

このような人種的偏見を持ったナチス・ドイツと同盟を結ぶことになぜ当時の右翼・保守知識人は異議を申し立てなかったのだろうか。

筆者が知る範囲では、左右両派から蛇蝎の如く嫌われていた極右思想家の蓑田胸喜が『わが闘争』をドイツ語で読んで、日本に対する侮辱的表現について東京のドイツ大使館に抗議に行ったくらいである。

ドイツ大使館は、適当にあしらい、論壇も蓑田の見解には耳を傾けなかったので、大多数の日本人はヒトラーの日本人蔑視に気づかなかったのである。

■危険な思想は現社会につながっている

ナチズムの負の遺産が21世紀にも甦る危険があると筆者は危惧している。それは反ユダヤ主義だけではない。遺伝子研究の衣をまとった優生思想だ。ヒトラーは「人種の純粋保持」を国家の優先事項とする。

〈民族主義国家は子どもが民族の最も貴重な財宝であることを明らかにせねばならない。ただ健全であるものだけが、子どもを生むべきで、自分が病身であり欠陥があるにもかかわらず子どもをつくることはただ恥辱であり、むしろ子どもを生むことを断念することが、最高の名誉である、ということに留意しなければならない。しかし反対に、国民の健全な子どもを生まないことは、非難されねばならない。その場合国家は、幾千年もの未来の保護者として考えられねばならず、この未来に対しては、個人の希望や我欲などはなんでもないものと考え、犠牲にしなければならない。国家はかかる認識を実行するために、最新の医学的手段を用いるべきである。国家は何か明らかに病気をもつものや、悪質の遺伝のあるものや、さらに負担となるものは、生殖不能と宣告し、そしてこれを実際に実施すべきである。これに対して逆に国家は、国家の財政的にだらしない経済管理のために、子だくさんが両親にとってのろいとなり、健全なる女子の受胎が制限されることのないように、こころがけねばならない。国家は、今日、子だくさんの家族の社会的前提を無関心に取扱っているが、このずるい、犯罪者的な無関心を一掃して、国家自体が民族の最も貴重な祝福に対する最高保護者としての立場に立たねばならない。国家は成人よりももっと子どものことを心配しなければならない〉

国家を主体にして、すなわち日本が強国として生き残るために少子化問題に取り組まなければならないという発想は、気をつけないとナチス型の国民管理につながっていく。

民主主義国家においては、「産む自由」と共に「産まない自由」も保証することがとても重要だ。その上で、子どもを産み、育てることに魅力を感じるような社会政策を構築することが重要と思う。

ヒトラーは障害を持つ人間を「不健康で無価値」と決めつけ、〈肉体的にも精神的にも不健康で無価値なものは、その苦悩を自分の子どもの身体に伝えてはならない〉と言う。

現在、「すべては遺伝で決まる」というようなことで森羅万象を説明する本がベストセラーになっている。冗談で書かれた本なのか、本気で著者がそういうことを考えているのか、よくわからないが、遺伝ですべてが決められるという発想から、ナチスの優生思想までの距離はとても近い。

あらたな装いで現れるナチス思想に対する耐性をつけるためにも、『わが闘争』を批判的に読んでおくことが重要と思う。

『週刊現代』2016年10月15・22日号より



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